2021/07/18 07:07

人は本能的にストーリーから意味を創造しようとする。アップルをそれに当てはめた場合、信じられないほどの成功、転落からの見事な復活という、私たちが数百回聞いてきたストーリーは、主人公が大活躍する成功物語の構造とうまく一致する。

だが、1つ問題がある。このストーリーのヒーローはジョブズだが、成功したのはアップルだ。アップルは時価総額が世界最大の企業であり、その歴史において、ジョブズが決定的な役割を果たしたのは確かだが、アップルの6万人の社員(ジョブズが亡くなった2011年当時)の多くも、何らかの形で貢献したはずだ。

その証拠として、ジョブズが亡くなった後もアップルは好業績を続けている。アップルが起こした奇跡の「創造的」な側面、つまり、何度となく起きた革命的製品の開発に焦点を絞っても、ジョブズひとりの功績でないのは確かだ。

では、なぜ、アップルのストーリーとジョブズのストーリーは私たちの頭の中で1つになっているのか。

その理由は、ヒーローが活躍するストーリーを私たちが聞きたくてたまらないからだ。最高のストーリーは、いかにもヒーローらしいキャラクターが登場するストーリーだ。私たちは、すべての結果はその人がもたらしたと考え、ほかのプレーヤーが果たした役割を軽く見る。

また、そのときの環境や競争相手や「運」の影響(よいか悪いかにかかわらず)も過小評価する。

あなたがある人を天才だと感じたら、その人のまねをする前に、よく考える必要がある。「スティーブ・ジョブズは天才だった」と言い、「だから模倣すべきだ」と結論づけるとき、あなたは三段論法の2番目の前提を忘れている。それは「私も天才だ」である。

自動車レースの最高峰フォーミュラワン(F1)の王者は運転の魔術師だが、普段ハンドルを握っているときのあなたは、F1王者の「ベストプラクティス」をまねようとは夢にも思わないだろう。それができるのは魔術師だけとわかっているからだ。運転に関して、人は魔術師と自分の違いをよくわきまえているが、「ビジネスの魔術師」について話すときには、しばしばその自覚が抜け落ちる。

例として、投資の魔術師ウォーレン・バフェットを取り上げよう。バフェットは半世紀にわたって卓越した業績をあげ、2020年の純資産は800億ドルを超え、世界で3番目に裕福な人になった。多くの投資家がバフェットの投資戦略を研究している。それは彼の戦略がシンプルに見え、また、彼がそれを庶民的で実用的な言葉で語るからだ。

「自分がよく知ることから離れない。バブルにつながる一時的な流行や方法に気をつけよう。価値が上がる可能性がある資産は、10年、20年、あるいは30年保有することをためらうな。過剰に分散投資をしない」

バフェットが率いる世界最大の投資持ち株会社バークシャー・ハサウェイは、毎年5月にアメリカ・ネブラスカ州オマハで株主総会を開く。そこには数万人の同社の株主が、「オマハの神託」を聞くために「巡礼」する。バフェットの投資原則を学んで、自ら実践するためだ。しかし、市場に戦いを挑んでも決して勝てないことを、山のような証拠が示している。

オマハへの巡礼者の中に、バフェットの実績に近づきそうな者はいない。実際、バフェット自身がそうした挑戦を戒めている。この賢者は、資産運用会社は手数料に見合う働きをしているだろうかと疑い、個人投資家にはインデックスファンドの購入を勧める。ほかの分野と同じく、投資の世界に天才がいるのであれば、当然ながらそれは例外的存在だ。

私たちは天才をまねしようとすべきではない。なぜなら、天才と同じような業績をあげることは不可能だからだ。言うまでもなく、これは私たちが聞きたいメッセージではない!

人には自分の能力を過大評価する傾向があり、天才のまねをしたいという熱い想いはそれによって増幅される。私たちは、どんな理屈や統計的証拠を示されても、自分は例外かもしれないと思ってしまう。

結局のところ、スティーブ・ジョブズ、ジャック・ウェルチ、ウォーレン・バフェットが、こうした警告を胸に刻んでいたら、信じがたいほどの成功を収めていただろうか。

こうした人々の存在こそが、十分な才能と意欲さえあれば、誰でも並外れた成果を残せるという確かな証拠ではないのか。印象に残っているアップルの広告コピー「自分が世界を変えられると考えるくらいクレイジーな人たちこそが、本当に世界を変えているのだから」は、真実ではないのか。

もちろん、そのとおりだ。そして、もし私たちがインスピレーションを探すのであれば、間違いなくこれらの非凡な人物たちの中にそれを見つけるだろう。しかし、実践的な教えを期待すると、深刻な「推論の誤り」を犯すことになる。

私たちが憧れるモデルは、もちろん成功したモデルだ。しかし「自分が世界を変えられると考えるくらいクレイジーな人たち」の圧倒的多数は、世界を変えることは「なかった」。

私たちはその人たちが世界を変えた話を聞いたことがない。そのことを忘れてしまうのは、勝者だけを見ようとするからだ。

私たちは生存者にしか目を向けず、同じリスクに挑んで行動した結果、失敗した者には、目を向けようとしない。この論理的エラーは「生存者バイアス」と呼ばれる。

生存者だけで構成されるサンプルからは、教訓を引き出すべきではない。それでも私たちがそうするのは、生存者しか見えないからだ。

モデルの探求は私たちを勇気づけるが、道を迷わせる原因にもなる。英雄と自分を重ね合わせたい欲望を抑え、世界中の人が憧れる数少ない偉人ではなく、華々しい成功を収めてはいないが自分によく似た意思決定者から学ぶほうが、恩恵を得られるだろう。


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