2021/07/05 07:07

2000年に、ジョージア工科大学のコンピュータ科学者とエンジニアのグループが、「アウェア・ホーム (Aware Home) 」と呼ぶプロジェクトを行った。目指すのは、「ユビキタス・コンピューティング」を研究するための「生きた実験室」を作ることだ。

この実験には3つの作業仮説があった。

第1に、この新たなデータシステムはまったく新しい知識の領域を生み出すだろう。

第2に、新たな知識とそれを使って生活を向上させる権利は、居住者に帰属する。

第3に、アウェア・ホームはデジタルのハイテク製品だが、古くからの慣例に従って、「家」を壁に囲まれた私的な聖域と見なす。

それから18年を経た2018年の時点で、世界の「スマートホーム」市場の価値は360億ドルと評価され、2023年までに1510億ドルに達すると予想されている。

●奪われたプライバシー
ところが一方で、「アウェア・ホーム」の作業仮説は風とともに去った。一体どこへ去ったのか。

アウェア・ホームは、他の多くの先進的なプロジェクトと同様に、より快適な生活を約束するデジタルの未来を想像させた。最も重要なことは、2000年に設計されたそのプロジェクトが当然のこととして、個人のプライバシー保護を前提にしていたことだ。

個人が自分の経験のデジタル化を選ぶのであれば、その人は、そうしたデータから得られた知識とその使い方に対して、独占的な権限を持ってしかるべきだ。

しかし現在、これらの個人情報や知識やアプリケーションに対する権限は、図々しいマーケットベンチャーに強奪された。それらの企業は、他者の経験とそこから得られる知識に対して、一方的な主張を繰り返している。

この大きな変化は、わたしたち、わたしたちの子ども、民主主義、さらにはデジタル世界に生きる人類の未来にとって、何を意味するだろう。

本書はこれらの問いに答えることを目的とし、デジタルの夢が暗黒化し、かつてない貪欲な商業プロジェクトへと急速に変化しつつあることについて述べていく。その貪欲なプロジェクトをわたしは、監視資本主義と名づけた。

監視資本主義は人間の経験を、行動データに変換するための無料の原材料として一方的に要求する。これらのデータの一部は、製品やサービスを向上させるために使われるが、残りは占有的な「行動余剰」と宣言され、「人工知能」と呼ばれる先進的な製造プロセスに送られ、わたしたちの行動を予測する予測製品へと加工される。

最終的にこれらの予測製品は、新種の行動予測市場で取引される。その市場をわたしは「行動先物市場」と名づけた。監視資本主義者はこうした取引から莫大な富を得た。なぜなら、わたしたちの未来の行動に賭け金を投じようとする企業は無数にあるからだ。

●監視資本主義者が貪り食うもの
監視資本主義は、初期のデジタルの夢とは逆の方向に進み、「アウェア・ホーム」を古代の歴史に追いやった。それどころか、ネットワーク化にはある種の道徳が伴うという幻想さえ打ち砕いた。

つまり、「接続されている」ことは本質的に社会的で、包括的で、当然ながら知識の民主化に向かう、という思い込みを否定したのだ。デジタル接続は、今では他者の商業目的をかなえる手段になった。その核になっている監視資本主義は、寄生的で自己主張が強い。

「労働を餌食にする吸血鬼」というカール・マルクスが描いた資本主義の古いイメージが想起されるが、この吸血鬼は思いもよらない方向転換を遂げた。それが貪り食うのは、「労働」ではなく、人間のあらゆる経験のあらゆる側面なのだ。

●人間の本質を犠牲にする情報文明
監視資本主義は、前例のない知識と力の非対称を通して機能する。監視資本主義はわたしたちについてあらゆることを知っているが、その操作は、わたしたちに知られないように設計されている。

監視資本主義は膨大な量の知識を蓄積していくが、それはわたしたちから引き出した知識であって、わたしたちのための知識ではない。監視資本主義はわたしたちの未来を予測するが、それもわたしたちのためではなく、他者の利益のためだ。

監視資本主義とその行動先物市場が繁栄している限り、21世紀の資本家に多くの富と力をもたらすのは、生産手段を持つ者ではなく、新たな行動修正の手段を持つ者だ。

産業文明が自然(ネイチャー)を犠牲にし、今では地球まで犠牲にしているのと同様に、監視資本主義と道具主義が形成した情報文明は、人間の本質(ネイチャー)を犠牲にして繁栄し、いずれは人間性を犠牲にするだろう。

産業化がもたらした気候変動という遺産に、わたしたちは狼狽し、後悔し、怯える。監視資本主義が現代の情報資本主義の支配的な形になったら、将来の世代はどのような損害を被り、どのような後悔を抱くだろう。

監視資本主義が多くの勝利を収めることができたのは、1つには、それに前例がなかったからだ。前例のないものは、当然ながら認識しにくい。わたしたちは前例のないものに出会うと、なじみのあるレンズを通してそれを理解しようとするが、それでは相手の本質が見えなくなる。その古典的な例は、「自動車」を初めて見た人々が、それを「馬のない馬車」と呼んだことだ。

監視資本主義の前例のない性質は、既存の概念では正しく理解できなかったので、組織的な抵抗を免れた。わたしたちは、「独占」や「プライバシー」といったカテゴリで監視資本主義に抵抗しようとした。

もちろん、どちらも重要であり、実際 、監視資本主義は「独占的」で、「プライバシー」を脅かしている。それでも、既存のカテゴリに頼っていたのでは、この前例のないレジームの実態を特定することも、それに対抗することもできない。

●この新たな世界の最初の地図を描く
監視資本主義は今の軌道をそのまま進み、蓄積の支配的論理になるだろうか?それとも時がたてば、それが歯を持つ鳥だということに、つまり、資本主義の長旅が必然的に行き着くおぞましくも不運な結末だということに、わたしたちが気づくのだろうか。

もし気づくのであれば、何がそうさせるのだろう。そして何が有効なワクチンになるだろう。

あらゆるワクチンは、敵である病気を深く知ることから始まる。本書で見ていく監視資本主義は、奇妙で、独創的で、想像も及ばないものだ。本書の活力になっているのは、前例のないものに対抗するには、まず新たな所見や分析や命名が必要だという確信である。

本書の目的は、 誰も知らないこの領域の、最初の地図を描くことだ。多くの開拓者が後に続くことを願っている。監視資本主義とその結果を理解するには、さまざまな学問分野と時代を縦横に行き来しなければならない。

目指すのは、これまでなじみのなかった概念、現象、レトリックおよび慣行の中にパターンを見つけるのに役立つ、概念と枠組みを構築することだ。そうやって未踏の地を地図に記していけば、やがて人形遣いの、骨と肉を持つ実体が見えてくるだろう。


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